| きものの話あれこれ |
村田吉茂 |
1971年(昭和46年)6月「ミセス」掲載
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No.6 美意識を持つということ…
真物よりすぐれたにせ物はない
だいたいにせ物は、安く、手間をかけないで、早く売れそうなものを作りたいという心から、人のデザインを盗むのですから、素材の布地も染料もいいものを使わないし、手間もできるだけ省いて作ろうとするわけです。ですから、同じ風合い、同じ色に染め上がるはずがありません。織物の場合には、手織りの柄をそっくりまねて機械で織るということになります。つむぎの柄を、ウールで織ったりすることもあります。
その柄は手機で織ってあるから迫力のある美しいものができるのであって、同じ柄を機械で大量生産してもほんとに美しいものはできません。機械織りには機械織りに向いた、ウールにはウールに向いたデザイン、柄というものがあるのです。自分で研究、努力もしないで、人の労苦を盗む、いいものができるわけがありません。言わせていただけば、道徳心のない人には、真にすぐれた美しいものはできないと思います。
皆さまにいつもお話ししているように、製作者も売り手もいいものをたくさん見て、自分の感覚をみがくことはたいせつなことです。わたしなども、古い能衣装や更紗などの古代裂を身のまわりにおいて、毎日ながめていますが、それだからといって、能衣装の模様をまねて、現代のきものを作るというのではありません。毎日、身近にながめてそれを作った作者の心を感じとるのです。よく地方の製作者は上京したおりなどに、時間があるとデパートや専門店を見たがるんですが、そんな時わたしは、博物館へ行けとすすめます。仏像でもよろいでも、古い、いいものを見て作者の心、気迫を感じとる、そのほうが、今時の流行商品を見て歩くよりどれほど勉強になるかわかりません。
古いものは確かにいいものが多いのですが、しかしそれをそっくり現代のきものにまねても、現代の女性には似合いません。文楽の人形に今できのきものを着せても似合わないのと同じように、現代の女性に古いものそっくりを着せても似合いません。これが時代感覚というものです。