コラム

きものの話あれこれ 村田吉茂
1971年(昭和46年)6月「ミセス」掲載

No.6 美意識を持つということ…
自分の美意識を持つ呉服屋に

 さて売り手の呉服屋ですが、このような製作者の苦労のにじんだ商品を扱う呉服屋は、安易にただもうけることだけを考えて商売をしてはいけないと思います。いつも美意識を養い、自分独自の美の感覚、つまり個性を持たなければいけません。あそこの店であんなものが売れているから、今こんなものが流行だから、と迷い、ほかの店と同じような商品が並ぶなどということは、一流の呉服屋ではありません。お菓子を買うときにようかんはどこ、もなかはどこと定評のある一流の専門の店があるように、きものもその店でなくてはならないという個性を持たなければなりません。その個性は、主人の美意識や好みの感覚によって違うわけで、これは、親子、兄弟といえども妥協は許されません。 

 私事で恐縮ですが、同じ「むら田」でも、わたしがやっている店と、東京で息子がやっている店とでは、品物の選び方も経営方針も違い、お互いにまったく独自に仕事をしています。親子ですから、ひとさまがごらんになると似通った好みのように見える面もあるようですが、よくごらんいただくと親子でも感覚が違うことがおわかりいただけると思います。親子だからお互いに協力してという見方もありありますが、それではお互いの個性がなくなってしまい、それぞれの個性を買って来てくださるお客さまたちに申しわけないと思うのです。親子でも仕事の上ではライバル、そんな考え方でないと、その店の個性、特徴は出せません。

 呉服屋は、きものについて能弁に語っても、着ているもの、持っているもの、つまり生活状態に美意識のない人は、ほんものではないと思います。ひとさまに美しいものをおすすめするものが、美しいきものを着ていないで、なんでひとさまに納得していただけるでしょうかー。美しいきものといっても、高価で豪華なものというのではありません。お客さまのお相手をするにふさわしい、目だたない質素なもの、そういうものの中で美しいきものということです。そして、更にすすんでいうならば、店のしつらえも、店に飾る花一輪もお客さまにお出しするお茶わん一つにも、主人の美意識が貫かれていなければなりません。

 近ごろは何でも情報が氾濫して、きものについても技術的、実際的な知識をお持ちになったお客さまが多くなりました。このようなかたたちは、それできものの物知り、きもの通になったとお思いになり、店を選ぶにも品物を選ぶにも、その知識をたよりにしがちです。もちろん、そういった知識を持っていて損はないのですが、知識だけをたよりになさって、美しさを真剣に追求するいい店、製作者の気迫のこもった美しいものを見失わないようになさってください。枝葉末節にこだわって、真の姿を見失わないようにとお願いしたいのです。

 今月は、製作者や呉服屋の話をしながら、美しいきものとは、女らしいきものとは、ということについてお話をしたつもりです。