| きものの話あれこれ |
村田吉茂 |
1971年(昭和46年)10月「ミセス」掲載
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No.10 いい買い物をするために
同じものは二つとできない
きものは、でき上がっているものの中からお選びになるのは、それほどむずかしいことではありませんが、見本であつらえたり、創作してもらうときは、それなりの勇気と覚悟を持ってなさることです。
皆さんは見本で注文なさると、見本そっくりのものができるものとお考えのようですが、きものは手工業のものですから、機械で大量生産をするプリント生地などと違い、作る人、素材、染料の種類、分量、そして天候などの諸条件によって、うり二つのように同じものは絶対にできないのです。いくらでも同じものの作れる西洋のお皿と、二度と同じものが焼けない“楽”の茶わんの違いです。
それでは注文の品をどう見たらいいのかといいますと、見本と違っても、それ自体の美しさがあればいいのです。極端に色が違うというのはもちろんいけませんが見本よりもちょっと薄い濃い、微妙な違いがある程度でしたら、それなりのでき上がりで美しさや迫力を評価していただきたいのです。そうすると、その薄い濃い、ちょっとした色の違いの中に、見本とはまた違った美しさを発見なさると思います。その美しさがわからないかたは別あつらえなさる資格はありません。いたずらに見本の再現ばかり気になさると、それ自体の美しさが少しもない、ただのまねをしたきものになってしまいます。
その美しさもわからずにむげに「気にいらない」とおっしゃるのでは、業者はこわくなって、次からは二の足を踏んでしまいます。少々気に入らないところがあっても気持ちよく「よくできた」とおっしゃるくらいの器量があると、業者は喜んで次のいい仕事をするものです。これが思いやりというもので、この思いやりは必ずそのかたのもとへ返ってくるものなのです。
真の王様になる
思いやりを持つということは業者も同じこと、と申しましたが、どうも相手の、つまりお客さまの立場を考えてきものを扱う業者が昔に比べると少なくなったように思えます。どうしたらお客さまにいいきものを着ていただけるかを考えるよりも、ただ利益を追求するだけの商人になっている業者が多いのです。「消費者は王様」などとうまいことを言って、おだてて物を売るだけ、これはなにも呉服業だけではありません。何の商売についても言えることです。
一方お客さまも、王様とおだてられ、甘い言葉に乗せられて商品を買わされ、王様なのだから何をしても、何を言っても通ると錯覚をしてしまうのです。
わたしは「消費者は王様」という言葉はまことに名言だと思っていますが、解釈のしかたが皆さんとちょっと違います。いやしくも王様といわれる人はりっぱな人格者だと思うのです。りっぱな人格者とは教養も思いやりもあるかたですから、お買い物をなさるかたはみな王様になっていただきたいのです。ところが一般の解釈は、王様だからどんな無理を言ってもわがままを言ってもご無理ごもっともとなります。しかし、業者やメーカーはご無理ごもっともと言いながら、その実、消費者のわからないところでよくないことをする、それが現実ではないでしょうかー。
わたしは皆さんに、ほんとうの意味の王様になって買い物をしていただきたいのです。