| きものの話あれこれ |
村田吉茂 |
1971年(昭和46年)10月「ミセス」掲載
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No.10 いい買い物をするために
すなおな気持ちを持つ
すなおな気持ちになるということも、いい買い物をなさる条件の一つです。心にまっすぐな鏡を持てば、ものがまっすぐに映りますが、ゆがんだ鏡を持っていると、ものもゆがんで映ってしまいます。
ご自分はきもののことがよくわかる、という自己過信のかた、人の言うことを疑うかた、すなおに聞かないかた、こういうかたは、せっかく美しいきものを選ぶためにアドバイスしてさしあげても、それをお聞きにならない。このようなかたはおおむね、すなおな心で作者がつくり上げた美がわからない、つまりせっかくいいものがあっても心に映らないのです。
わたしはきものをお見立てするときには、そのお客さまを自分の恋人と思うのです。どんなきものを着せたら美しくなるだろうか、どうしたらこのかたといっしょに歩きたいと思えるだろうか、と真剣に考えるのです。その時第一に考えることは、外見の美醜ではなくて、そのかたの心です。そして次に個性、環境を考えます。そのような時そのかたがすなおな性格のかたですと、美人でなくとも、体型に難があっても、よくお似合いになるきものをお見立てすることができ、そのかたなりの美しさのあるきもの姿にしてさしあげることができるのです。
それが、いくらアドバイスしても、口をすっぱくしてお話しても、人の言うことを信用しないで何時間でも迷うかた、人の言うことを曲解するかたには、いくら考えてもいいきものが思い浮かばないのです。
だいたい迷うのはご自分に美の教養がないからで、それをご自分でも認めて、ご自分より美の教養の高い人に任せるというすなおな気持ちをお持ちになるといいのに、概してそういうかたは心が狭く、人を信用せず、迷いに迷って、店の誰彼を問わず、それこそ経験の浅い若い店員にまで聞いていらっしゃる。これではアドバイスするほうもいやになりますね。適当なことを言って真剣にお相手をしなくなってしまいます。
まあ、あまり迷われるかたには、一度お帰りいただいて、頭を冷やすように申し上げますがー。
人の言うことを曲解するかたというと、だいぶ昔のことを思い出します。私は江戸っ子で口が悪いため、ある奥様に「あなたはもう少しきたないきものをお召しになったほうがいい」と言ってしまったことがあるのです。すると「どうせ私はきたないからきたないものしか似合わないんでしょう」と立腹されてしまい、困ったことがありました。たまたま「きたない」という表現をつかいましたが、これは「はですぎるきものだから、もっと静かなじみなきものをお召しになったほうがいい」という意味だったのです。わたしは心にもない美辞麗句でお客さまに接することはしません。むしろさきほどのように単刀直入、歯に衣を着せないでほんとうのことを申し上げ、それでわかっていただいて今まで仕事をしてきたのです。ですからお客さまにも、誤解をなさらずに言うことをすなおに聞いていただきたいと思うのです。
慇懃無礼と、無礼そうに見えてもその実、ほんとうは親切、その違いをわかっていただきたいと思います。