先代のコラム

昭和初期の店舗 木挽町

染めのきもの 2

江戸小紋は大名の柄

 今日でこそ江戸小紋は、どなたでも自由に好きなものを選んで着られるようになっていますが、江戸小紋ができた江戸時代には、柄によっては、庶民は身につけることが許されていないものもありました。というのは、その指定の柄は、各大名が登城する時の裃(かみしも)の柄から出たもので、大名の第一礼装用の柄です。当時の大名にしてみれば、自分の領内にはこんなすぐれた仕事をする工人がいるという、一種の自負、誇りから、“極(ごく)”と呼ぶ錐彫り型で染めた、もうこれ以上細かくできない細かい柄を裃につけたわけです。ここで私のいう江戸小紋は、この極のものが主体になりますが、たとえば“堀田の鮫”などという大名の名前がついた柄もあります。つまり、自分の領内でできたいちばん優秀なものは自分だけが使うというわけです。

 じゃ、なぜ一柄一色の江戸小紋が大名たちに好まれたかというと、いかにも武士らしく、男らしい、きりっとした柄で、しかも、りっぱな風格を持っている、ということでしょうか。したがって、どの染めよりも美しく感じたからではないかと思います。大名は当時の知識階級、洗練された文化人ともいえる人たちです。その証拠に今日、焼き物や漆器などの美術工芸品は、城下町に発達し、または大名の庇護を受けたものが残り伝えられていますね。その文化人の審美眼が選んだ美しい染色品であることが、江戸小紋の名声を今日まで伝えたゆえんでしょう。

 現在、江戸小紋は、大名や武士が身につけたものだから格調のある柄だといわれていますが。偉い大名が選んだからいいんじゃなくて、美を見る目、芸術を理解する目があった人たちが選んだものだから美しい、と考えるのがほんとうじゃないでしょうかー。

 明治になって、大名の止め柄だった小紋は、もと武家の奥さんだった人なんかから着始められるようになり、庶民も着るようになったわけです。武家の奥さんたちも教養ある文化人といえましょう。庶民にも着られるようになったといっても、若い人でも誰でも着たというわけではありません。小紋の美がわかる年齢になって、つまり、きものを着尽くして、きものに対する教養の高い、ある程度の年配になって着るようになったようです。もちろん、単色の柄はじみだということもあったでしょうけれども。

 それが今日人気が出たのは、先月号でお話したとおり、私の傘下の小宮康助の江戸小紋の型置き技術が無形文化財に指定されたことと、戦後のきものが無地から出発し、無地好みの人がふえ、そういう人たちが一見無地風に見える小紋を好んだことが原因だとも思います。

江戸小紋を現代感覚で着る

ただ、私に言わせれば、江戸小紋の入心技術からにじみ出る美しさは、時代を超えたものではありますが、現代の女性の誰にでも似合うという時代感覚は薄れてきていると思います。先月もお話ししましたが、現代の女性、特に若い人には似合いにくい。そこで、若い人にも似合う江戸小紋を、と私が戦前から考えたのが江戸小紋を図案的に組み合わせるということでした。

たとえば、地を鮫小紋にし、そこに草木、風景を別の小紋で置くという方法が、その一つです。図案的に総柄にしても、絵羽づけにしてもいいわけで、柄が大きくなり、動きも出てきたわけです。この構想ですと、色調も地の色と柄の部分を変えられますから、変化がつき、若い人向きにもなりました。この方法でいけば、色留め袖、訪問着、付下げなんかのいろいろなものに江戸小紋が、年齢的にも用途的にも広く使えるわけです。

もう一つの方法は、切りつぎとか切りばめといわれるもので、いろんな柄の極の小紋を、いろいろな形に切りついだ模様です。これだと一色染めにしても動きや変化があって、はででしゃれた感じになります。ついでに言うと、一見切りばめ模様は、一柄の錐彫り小紋より手がこんで高価にも見えますが、ほんとうは、一色染めの一柄のもののほうがごまかしがきかず、たいへんむずかしい技術と手間がかかるのです。

また構想によっては極の小紋どうしの組合せだけでなく、ぼかし染めやろう染めを加えたりと、いろいろな手法を使った模様もできます。江戸小紋もこんなふうに図案的に扱えば、今まで合わなかったかたがたにも、幅広く着られるようになりますね。

ただ、ここでたいせつなことは、前述の創案も、江戸小紋の風格を生かすように組み合わせるということが問題です。いたずらに、凝って技巧だけを売り物にしたり、奇をてらったりしては江戸小紋の品格をかえってそこなうことになります。そこでこの前お話しした、監督、つまり製作指導者の、美に対する意識が問題になってくるわけです。腕のいい工人の技を最高に生かす監督の感覚というのが、作品の芸感を左右することになります。そして、皆さんにくり返して申し上げたいのは、こうした作品を選ぶ目を皆さんが持つということ、つまり前にお話しした、美に対する意識をいつもみがいていただくということですね。美意識が高まると、自分にふさわしい最高のものが選べるような鑑識眼が備わります。

生地は画家の選ぶ紙と同じ

いい画家はまず紙、墨を選びます。きものも同じことで、その柄にふさわしい布地染材を選ぶことがいい作品を作ることになるわけですがここで、監督と工人の意見が食い違うこともあるわけです。職人は、のりの置きよい、平らな布地を選びたがる、たとえば駒よりなんかです。こういう布地だと、極の鮫も一様に鮮明に染まるわけで、職人はなめたように染められたものが美しいと思っているんですね。ところが江戸小紋の味は、自然に生まれる濃淡やかすれの動きにあるんで、印刷したようにべったり染まったものでは味がないんです。特に私などは、変わり生地なんかで染めさせたいわけです。いやがるのを承知で変化のある生地でおもしろい味のものをつくりたいのです。私としては、やっぱり、味のある、りっぱで個性のある作品をおすすめしたいです。

お若いかたは、平凡な生地に染められたものではじみな場合がありますね。そんなときには紋りんずに染めてもおもしろい。光線によって動きが出ますから、若い感じになります。

長々と江戸小紋の話をしましたが、これは、江戸小紋を例にとって、入心度の高い美しいものとはどんなものか、それを現代の女性に生かすにはどうしたらよいか、ということをお話ししたわけです。

ろう染めとさらさ

次にろうけつの話に移りましょう。

今では、ろうを用いて防染した染め物を一様にろうけつと呼んでいますが、厳密にはろうけつと呼ぶ手法で染められているきものはあまりないはずです。ろうけつという手法は、チャンチンという、南方で使用している口先のとがった入れ物にろうをとかして入れ、それで布地に柄を描く手法のことで、描いたあとは染料のかめの中につけ染めをします。本物のジャワさらさがこの手法です。

現在、日本のきものや帯用に染められているろう染めは、ろう描き染め、つまり筆にろうを浸して描く手法が大部分で、染め方もひき染めがほとんどです。ろう描き染めはチャンチンで染めるろうけつのように、細いきびしい線が出ませんが、逆に筆の筆致が出て、自然のかすれた濃淡が出るところに、また別の躍動感があるわけです。

最近では、ろう染めも、手描きのもののほかに、型ろう染めができるようになりました。その違いは、手描きのものは同じところが一つもなく、動きがあることでしょう。もちろん、いつも申し上げている入心度に大きな違いがあり、それがおのずから柄に出ているわけです。

ろう染めは、古い歴史を持ち、戦後人気が出た染めの手法で、手染めでも、型染めでも、自然に出るろうの亀裂、かすれ、筆致に躍動感があり、これが現代の女性に受けるわけですね。しかし、戦後ろう染めを手がけた人たちが、工芸的感覚を持った人たちだったせいか、どうしてもくせを持った色調のものが多く、ろう染めというと、渋い、趣味的だという印象を皆さんに与えたようですね。まあ、これには、ろうを使うため、熱を加えないと染まらない染料が使えない、ということもありますが…。ろう染めを好む人たちの多くが、はなやかで自由な色調を出せない制約もあって、渋いものになったということがいえると思います。

あまり、一般的ではありませんが、さらさも染めの技法として忘れることはできません。さらさはインドさらさをもとにして、東洋、西洋でいろいろなものが染められています。わたしもさらさの先祖から伝えられた邪気のない柄と洗練された入念な技術から出る芸感が美しくて好きで、インド、ジャワ、オランダなどの古いものをたくさん持っています。時おり、博物館などの要請で出品したりしていますが、衣桁に掛けおりにふれてながめたりもしています。古いものほど入心度が高く美しいと思います。

古い時代に渡ってきたものを古渡(こわた)りといいますが、その時代の大名や教養の高い町人などの、いわゆる文化人たちの心をとらえたのは、高価な希少価値もあったでしょうが、入心度の高い美しさだったと思います。

さらさも、渡来したものを模倣したり、さらさ風の柄を小紋染めにしたものなどがありますがなかなかいいものがないのは、創意、苦心したという作者の入心度がないからだと思われます。

また、さらさのような異国的な特殊な味のあるものは、そういうものが似合う人柄とそうでない人柄とがありますね。いつも申し上げているように、好きだからいいでしょう、といって身につけるのはどうでしょうか。そんな、きものと着る人の風格、人柄なんかについては、またお話ししていくことになるでしょう。